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朝鮮民話「恩知らずのトラ」
 クァンモ峰のいただきにほら穴が一つありますが、むかし、そのうす気味悪いほら穴に年老いたトラが住んでいました。
 トラはそこで、毎日食べては眠るだけの味気ない暮らしをしていました。
 ある日、ノロの足をたいらげたトラは、なにかたいくつしのぎをしたくなりました。
 (この年になるまで広い世間も知らずに、むだな歳月を送ったものだ。井の中のかわず大海を知らずというのは、わしのことじゃないか。老いぼれる前に、クムガン山の見物にでも出かけよう)
 目をパチパチさせてこう考えたトラは、やがてのっそりと立ち上がり、旅に出ました。
 トラは、昼は狩人の目をさけて森にかくれ、夜は谷を抜けて10日目にクムガン山に着きました。
 高くそびえる峰、清い谷のせせらぎ、びょうぶをめぐらしたようながけから流れ落ちる滝、天女が舞いおりるというクムガン山は、うわさに聞いたよりもはるかに美しい山でした。
 谷から谷へとその見事な景色を見てまわったトラは、タンバル嶺を越え、ヘヤンという方へ足をのばしました。
 ところが、そのあいだ幾日も休まずに歩いたので、さすがのトラも腹がへってきました。
 それで、なにか餌はないものかとあたりを見まわしていると、どこからともなく、子犬の鳴き声がしました。
 耳をそばだてて、声のする方へのそりのそりと歩いていったトラは、米びつの形をした大きな箱を見つけて中をのぞきこみました。するとそこに子犬がつないであったのです。
 久しぶりに餌を見つけたトラの腹の虫がグウグウ鳴りました。
 さっそく子犬にとびかかろうとした瞬間、不吉な予感が頭をかすめました。
 (飼い犬が山の中にいるなんておかしいぞ。人間はずるいからな。気をつけないと、とんでもないことになるぞ)
 こういうときには、ひもじくても用心が肝心だと思いなおしたトラは、よだれを流しながらきびすを返しました。
 でもこのまま引きさがるのは残念だし、山の王さまのこけんにかかわるような気がします。
 (ここでうしろを見せるのは、トラの名おれというものだ。わななんか、犬を食べてからぶちこわせばいいじゃないか)
 カーッと頭にきたトラは、「ウォーッ」と山がくずれるような大声で威勢よくほえると、さっと箱の中へおどりこみました。
 一瞬、ガタンと音をたてて戸がしまり、トラは身動きができなくなりました。餌を食べるどころではありません。
 びっくりぎょうてんしたトラは、するどい爪で壁をひっかきながらあばれましたが、檻はびくともしません。
 トラは目の前が真っ暗になりました。これでは、とても助かりそうにありません。 
 「ほとけさま、あわれなトラを助けてください」
 トラは前足をすりあわせ、泣き声をあげて、いっしょうけんめいに祈りましたが、うんともすんとも答えがありません。
 トラは一日中檻の中にとじこめられていました。すっかりあきらめていると、あくる日の明け方になって、落ち葉をふむ音が聞こえてきました。
 トラはほそ目をあけて、音のする方をうかがいました。細道をひとりの男が歩いてきます。
 「ここであの男の手にかかって死ぬのか。せめて思いっきりほえてやれ」
 トラは声をふりしぼって、「ウォーッ」とほえました。
 肝をつぶした男は、その場に立ちすくんでしまいました。それはユジョム寺の年老いたお坊さんで、檻の中のトラを見ると青くなって逃げ出そうとしました。
 山で暮らしているトラは、お坊さんが生き物をあわれむことを知っていました。それで半泣きになって言いました。
 「なさけ深いお坊さま、クムガン山に修業にいく道中で、運悪くわなにかかってしまいました。どうかお助けくださいまし」
 トラの話を聞いてお坊さんは、立ち止まりました。
 (すんでに、罪をおかすところだったわい。あれをおきざりにすれば、狩人に撃たれるだろう。助けてやらなければ)
 一生をほとけに仕えてきたお坊さんはこう心でつぶやいて、トラにたずねました。 
 「助けてやったら、わしを食い殺しはしないだろうね」
 「め、めっそうもない。いくらけだものだって、命の恩人にそんなそら恐ろしいことを。助けてくだされば、お坊さんのご恩はいつまでも忘れません」
 トラがしきりに哀願するので、お坊さんは戸をあけてやりました。トラは檻から出ると、お坊さんの前にひれふしました。
 「おかげさまで命拾いをしました。このご恩をどうお返ししたものでしょうか」
 頭を地面にすりつけて礼を言ったトラは、森に向かって歩き出しましたが、なにを思ったのか、まもなく戻ってきました。
 「お坊さま、もう一つよいことをしてください」
 「よいこととはなんのことじゃ」
 「ほとけさまにお仕えするお坊さまが、それをおたずねになるとは解せませぬ。ひもじいものに食べ物をほどこすのは、ほとけの道と聞いております。腹がへったので、あなたさまを食べさせてもらいたいのです」
 トラは本性を現して、ぬけぬけと言い放ちました。
 「恩知らずめ。畜生とはいえ、恩を仇で返すとはなんと恥知らずなやつじゃ」
 あっけにとられたお坊さんは、声をあらげて叱りました。
 トラは、たけだけしく言い返しました。
 「このおいぼれめ。ほとけの教えを守ろうというのがなんで悪い。生き物を殺してはならぬというほとけのおきてにそむいて、わしをわなにかけたのもお前たち人間どもだ。許すわけにいかん」



 トラは真っ赤な口をあけて、お坊さんに噛みつこうとしました。
 せっぱつまったお坊さんは、トラに言いました。
 「ひもじいだろうが、わたしを食べてもたたりがないか、誰かにたずねてみたらどうだろう」
 たたりと聞いてトラは、背すじがひやりとしました。
 「それもそうだな」
 さきほど、かるはずみなことをしてわなにかかったトラは、用心にこしたことはないと思ったのです。
 お坊さんは、そばのツタに声をかけました。
 「わなにかかったあのトラを助けてやったら、わしを食い殺すというのだ。こんな仕打ちってあるだろうか」
 ツタは体をよじらせて、にくにくしげに答えました。
 「坊主なんか、見ただけでもむなくそが悪くなるわ。人間どもはおれたちを切りきざんで皮をはぎ、帽子や敷物をつくるじゃないか。トラに食われてしまうがいい」
 トラはツタの答えを聞くと、きばをむきだしてお坊さんに飛びかかろうとしました。
 お坊さんは、もういちど頼みました。
 「それはツタの思いちがいだ。今度はあのウサギに聞いてみよう」
 お坊さんは、ウサギにたずねました。
 「わなにかかったトラを助けてやったら、わしを食い殺すというのだ。こんな仕打ちってあるだろうか」
 横からトラが口をはさみました。
 「ひもじいものに食べ物をほどこせというのは、ほとけさまの教えだ。だから、坊主を食べてやるのは道理にかなったことじゃないか」



 ウサギはけげんそうに耳をかしげて、たずねました。
 「話を聞いただけでは様子がわからないな。どんなふうだったか、そのとおりやってみてくれないか」
 トラとお坊さんは、そうすることにしました。檻に向かってかけていったトラは、「わしがこうしておどりこんだのだ」と言って、檻の中に入りました。
 「じゃ、戸はどのようにしまっていたんだい?」
 お坊さんは、元どおり戸をしっかりしめました。
 それを見てウサギははじけるような声で笑いました。
 「わかったよ。さあ、助けるなり、かみつくなり、好きなようにすればいい」
 「ウォーッ」
 トラは檻の中でほえましたが、あとの祭でした。
 「どうもありがとう」
 あやうく虎口を逃れたお坊さんは、ウサギの頭をなでました。
 「悪者になさけをかけてはいけない、ということを忘れないでください」こう言ったウサギは、トラに向かってひややかな声で言いました。
 「もう、お前のような恩知らずを助けてくれる者はいないぞ」
 ウサギは、ピョンピョンと森へかけていきました。
 檻の中のトラは、それ以上、クムガン山見物もできず、狩人の鉄砲に撃たれて死んでしまったそうです。