短編小説「3年、30年」(15)
ソルミ:先生、中学校に上がったときも数学に費やす時間があったら、楽器のトレーニングに励むといって、まるで生まれつきの音楽家のように思いこんでいた私ですが、大学への進学ができなくなると、それ以上の希望については考えもできませんでした。
そんな私だったので、
胸のうちを見抜いているかのようなその質問に私は慌てて、「違います、先生の方々はみな立派な人たちでした」と応えました。
もちろん、高等教育を世界的レベルに引き上げるのもいいですが、それよりは基礎教育、わけても小学校と幼稚園の教育で質的な変化をもたらすことを優先させるべきです。初のボタンを嵌め違えば、最後のボタンも嵌め違えるのと同じです。その初のボタンを誰が嵌めてくれるのですか」と言いました。
いつの間にか涙に濡れている私の顔を優しく見つめ、「私はこの兵士の先生にその責任を問いたくはありません、聞いて見ると志向もはっきりし、情熱もある教育者でしたが、残念なことに資質と能力に限界がありました。
それで、私は機会あるごとに、教員の資質イコール教育の質で、教育革命はすなわち教員革命だと言っているのです」と言いました。
先生、私はその日、失っていた希望を取り戻しました。
私は除隊したら、先生のように教師になるつもりです。他人より10倍、100倍努力して必ず立派な教師になります。そうやって先生が離れた教壇を守って行きたいです。
僕の手から手紙が落ちてしまった。人生の甲斐というものは、決して、自分の代に築き上げた創造物や獲得した名誉だけで計算されるものでない。
国と未来、このような大きくて、崇高な単語がソルミの素朴な希望と実にうまく調和しているような気がした。それに比べると僕が夢見た理想と志向はまるで、幼い少年の空想のように思われた。
テーブルの上に落ちた手紙を拾い上げた僕はそれを本に挟み戻そうとしてふと、手を止めた。
ページごとに素知らぬ人の名前と簡単な経歴のようなものが書かれてあるのだった。
或るものは具体的に、或るものは簡単に書かれてあるそれが他ならぬ母が担任していた児童の過去と現在であることが難なく推測された。
「キム・ソンチャン:建築大学入学、優等の成績で卒業、最優等の基準に至らなかった科目は応用数学、建設力学・・・
現在、設計総局建築設計研究所の研究士、リョミョン通りの設計に参加。
情熱家だが、実力がまだ足りない。立体的な思考能力に欠けている。空間の処理と活用で型にはまっている。それを乗り切る方途は?」
「リム・チョル:現在、人民軍に服務している。表彰を受けたとの手紙が2通届いている。もっと確認すべし」
「ファン・リョンヒ:現在、『ネゴヒャン』サッカーチームの選手。フォワードとして素早いアプローチ、ボール捌きの鋭さで監督が満足している。チーム唯一のアコーディオン手。2週間前、ルームメートと口喧嘩したそうだ。
監督の話によると彼女の歌謡集の字が下手だと友達からからかわれたのが原因だそうだ。私の責任である」
僕はそれ以上読むことができず、ノートを閉じた。胸に何か伝わってくるものがあった。
ノートに書かれてあるのは久しい前に手許を離れた教え子たちの行跡である前に、その後を気を揉みながら追っていく昔の恩師の足跡だった。
進んで教壇から降りたことで教育者の良心だけは守り抜いたとばかり思い込んでいた母はきっと、ソルミの手紙からショックを受けただろう。
そして、随分悩んだ末、このように教え子たちの成長に人知れずついていくはずの自分の誤りの断片をかき集めようと長い旅に出たのだろう。
チュンミン:あ、お母さん。