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ありがたい先生
 仁徳と愛情で睦まじい共和国の社会には美しい行いの主人公が多くいますが、その中にはある女教師の話もあります。
 2歳の時、薬物の副作用による聴力障害で10数年間、聴くことはもちろん、話もできなかった一人の生徒を回復させたピョンヤンのモランボン区域のチンフン初級中学校の教師リャン・ウンヘさんについてのお話です。



 2年前の4月、音楽舞踊科目の教師であるリャンさんが、新入生の1年生の授業を担当して、キム・チョンヒャンという女生徒が障害者であることを知りました。
 チョンヒャンさんの父は建設労働者でした。
 リャンさんはチョンヒャンさんがコミュニケーションが全然できないにもかかわらず、音楽クラブに受け入れ、自分の家で一緒に生活しながら詳しく観察しました。
 その過程にチョンヒャンさんに、人の口の形を目で見て何のことか自分なりに判断する能力があるということに気付きました。これを利用するならチョンヒャンさんも話ができるのではないのかという思いがしました。
 リャンさんは保健医療部門に携わったことも、障害者を育てたこともありませんでしたが、教え子を回復させ、あくまで責任持つことにしました。教え子の皆を一人残らず立派に育てて国の前に立たせようとの教育者の良心というのがそう決心させたわけでした。
 リャンさんは硬く突っ張ったチョンヒャンさんの舌と唇をほぐすための訓練から始まり、口の形による様々な発音の違いを探し出して言語の感覚を会得させました。



 一つの発音を覚えさせようと、チョンヒャンさんの指を自分の喉の中に入れさせ、舌の位置と振動を感じさせる訓練を数百回も繰り返しました。
 チョンヒャンさんが一週間ぶりに朝鮮語の子音の頭文字である「가」という声を出した時は、喜びの余り、ぎゅっと抱きしめて止めどなく涙を流しました。
 現代医学でも直せないといっていた障害者の少女が高らかに自分の声を出すようにしたのです。
 すべてを尽くしてでも教え子に明るい明日をもたらそうとの教育者の清らかな心と献身があって、リャンさんは新しい方法を絶えず探し出し、正しい発音を完成させただけでなく、朝鮮語の意味も覚えさせました。
 チョンヒャンさんは生まれて14年ぶりに、母の誕生日おめでとうという挨拶の言葉を自分の口から出しました。
 母のリ・ヒャンスクさんはリャンさんの両手を握って涙ながらにこう言いました。
 私の娘の真の母は先生です・・・
 今はチョンヒャンさんが教科書も読み、数学問題も解いているだけでなく、人とのコミュニケーションもできるとのことです。





 チョンヒャンさんは先生にアコーディオンも習いました。習い始めて一ヶ月ぶりに「われら幸せ歌う」という曲を演奏して周りの人たちをびっくりさせました。
 多くの人たちがその秘訣について聞いてみましたが、そのたびにリャン・ウンヘさんは、生徒たちをわが子のように見なして、実の母の愛情を惜しみなく注いだだけだと応えています。